日々是好日

 禅語に「日々是好日」という言葉があります。最近の映画の題名にもなっているようです。先刻亡くなられた樹木希林さんの遺作になったようですが、平凡な日常でも良い日になることを著した作品のようです。「にちにちこれこうにち」と読むそうですが、「にちにちこれこうじつ」や「ひびこれこうじつ」という読み方もあります。その意味の捉え方は、毎日が良い日、或いは、良い日にするよう努めること、だそうです。素晴らしい言葉ですが、果たして私たちは、日々そのように過ごせているでしょうか。良い日というのは、平穏であるが故の、まさに穏やかな一日というように感じますが、普段の生活では、どれほどそんな日があるでしょうか。楽しいことや嬉しいことと同じぐらい、或いはそれ以上に嫌なことや悲しいことがあるのが普通ではないでしょうか。前夜のお酒も控えめにして、気持ちよく目覚めた朝一番に、突然、知り合いの訃報が届いたり、仕事上のトラブルが発生したとかの連絡が入ると、たちまち憂鬱な一日の始まりに変わってしまいます。喜怒哀楽は万人に備わった感情で有りますが、一日中、怒、哀に晒されると心身ともに消耗するのです。怒ったり悲しんだりするのは、本当に体力がいるのです。それに比べて、喜、や楽も笑うほどに体力を使うのですが、精神的には、ストレスが発散されて良好な心身に身を置くことができるのです。人間の万病のもとは、ストレスともいわれています。病気を発症してもストレスの無い環境に置かれることで、その症状が改善されるということはよく聞きます。しかし、ストレスというやつは、そこはかに潜んで、何かの拍子にいきなり現れてくるのです。ストレスというのは、自分の常識ではないことが起こったり、無理難題を押し付けられたり、如何ともし難い状況に置かれたときに、スッと心のすきに入り込んでくるのです。そして、何よりも自分の思い通りに行かぬ時こそ、自分に対してのストレスがマックスになるのです。それは、亡霊のようでもあり、ウィルスのようでもあります。そう考えると、自分一人で誰の世話にもならず、誰の助けも受けずに生活できればストレスは無くなるのでしょうか。いや、自分自身へのストレスは、案外自分自身が与えているのかもしれません。原因は我にあり、なのかもしれません。人間とはそういう生き物で、自分自身で自分を窮地に陥れるところがあるのかもしれません。ということは、無人島でたった一人の生活をしたところでストレスは無くならないということになります。そう、ひとりで生きる、生活をすることの難しさは、みんな知っているはずです。そんな私たち人間の日常で果たして日々是好日と行くのでしょうか。実は、そこのところなのです。毎日楽しいことばかりではあるわけがないのです。喜怒哀楽、一喜一憂は交互にやってきます。しかし、嫌なことがあったり、思い通りにならないことがあってもその気持ちの切り替えができれば必ず、次の嬉しいこと、楽しいことがやってきます。日々是好日は、結局、今ある現状にあまり拘らず、あしたに目を向けることで、現状を打破して次の可能性を求めていくことになり、好日を迎えられるということではないでしょうか。自分の年齢で言えば23,729日間、日々、喜怒哀楽、一喜一憂の毎日を過ごしてきました。その間に多くの人と関わり、多くのことを学びました。そして、多くのストレスもありました。夢も生まれ、失望も経験して今の自分があります。結局のところ、今生きていることが、日々是好日という教えなのではないでしょうか。肩に力を入れず自然体で、できるだけ拘りなく過ごす一日を、これからも増やしていきたいと思う今日この頃なのです。