未知の領域

 立春を過ぎ、暦の上では越冬は完了しました。しかしながら、今年の冬は厳しく未だ寒気が居座ったままです。寒気のせいかどうかわかりませんが、自他ともに身内の不幸が続きました。ほろ苦い冬でありました。
私たち人間には、未来という未知の領域が常に存在します。いや、生あるものすべてに未来が存在します。桜の樹には花が咲き、枝が伸び、幹が年輪を重ねていきます。人にも若い人には夢を伴う希望があり、中年には生活の安定を目指した決意があり、老年には穏やかに過ごしたいという労いの思いがあるのです。若い人は、中年や老年の先達を見ると次の進む道も予測できます。中年も老年の諸事を鑑みて自分たちの進路を予測できます。さて、老年はどうでしょう。それは、何もわからない未知の領域なのです。周りの出来事からある程度は想像がつくのですが、いざ自分のこととなると、果たして他の人と同じように展開するのかどうか、不安でもあり、楽しみでもあります。誰でもが、自分のこれまでの人生は、唯一無二、自分オリジナルなのです。紆余曲折は、誰でもが通る道のりです。若ければ若いほどその道のりは、後戻りもできるし、やり直しもできます。しかしながら、歳を重ねるとともにその機会は減っていきます。というか、経験を積み重ねて、引き出しが増えていっているから迷うようなことが減っていっているのです。多くの引き出しがあれば何か困難に出くわしても大方、立ち直ることはできます。しかし、人間というのは、もうこれで悪いことは起こらないだろうとその都度思うのですが、予期せぬトラブルはいくらでも湧いてくるのです。そんなとき皆さんはどうしていますか?そう、選択は、二択なのです。進むか退くか。やるかやらないか。諦めるか固執するか。強気で攻めるのか弱気で防衛するのか。これは、それぞれ、その都度、どちらかを選択するしかないのです。セオリーはありません。若い人たちには、それらの判断基準がまだ、備わっていない場合が多いのです。だから、悩みが深く見えるのです。ということは、やはり若い人たちの悩みは、中年や老年が解決の手助けをしなくてはならないのです。と同時に、若い人からは、大いなる夢やバイタリティをもらいたいと思うのです。振り返れば、自分たちも果てしない夢を抱いて、そして、それは今もあるかもしれないのです。いわゆる大人は、自分の才覚や度量を心得て、無茶なことはしませんが、何かしらの夢は必ず持っていると思うのです。そして、その夢も、実現できることを前提に計画して、取り組んでいるのではないでしょうか。今年は公私ともに、どういう訳か年明けから不条理、不幸なことが頻発しています。何故?なんで?と思うことばかりです。でも、これも一生の中では、起こるべくして起こっているわけで、また引き出しが増えたということなのでしょうね。産まれてから20年の蓄積、40年の蓄積、60年の蓄積、80年の蓄積、それぞれ味があるではありませんか。60年の蓄積を少し過ぎた今、20、40年の夢と希望を聞き、60年以上の人のさらに多くの引き出しを、これからまだまだ学ばなくてはなりません。学ぶほうが多いのか、引き出しを披露するほうが多いのかはわかりませんが、学んだことは、全部披露していきたいと思います。そして、披露できるように貪欲に学びたいとも思います。人生の先達、これからもよろしくお願いします。