にんげんだもの

先日、日本人では数少ないプロボクシングのミドル級WBA世界タイトルマッチがありました。皆さんはテレビ実況をご覧になられたでしょうか。そうです、ロンドン五輪で金メダルを獲り、プロボクサーに転向したあの村田諒太選手です。オリンピック後、5年の歳月をかけて入念に、慎重にそのプロとしてのキャリアとスキルを上げてきた村田選手です。これまで日本人の体格的な問題で体重の重いこのクラスは、ほとんど挑戦者すら輩出できず、もちろんそのためにチャンピョンも生まれてこなかったクラスなのです。しかしながら、村田選手は、地道に練習に励み、その国民的期待に応えるがごとく、念願のタイトルマッチが行われたのです。この試合は、序盤からダウンを奪い、そのポイントを重ねていっていて、誰もがほぼ完璧に村田選手の判定勝ちと思っていたところ、なんと、大方の予想を覆して相手方の判定勝ちの手が上がってしまったのです。これこそ青天の霹靂です。ボクシングファンはよくご存じだと思うのですが、ボクシングは相手を倒してしまえば各ラウンドのポイントに関係なくKO勝ちになるのですが、12ラウンドを終えて判定になった場合、そのポイント数で勝敗を決めるのです。そのポイント数が、3人のジャッジのうち、一人は村田選手の勝ち、他の二人はよもやの相手方選手のエンダムの勝利としたのです。ポイントとは、有効打を重ね、相手にダメージを与えた際に10点満点でダメージを受けた相手のポイントを9点とか8点とかに減らす、いわゆる減点法でラウンドごとに積算されていくわけです。問題はここにあるわけです。それは何か。ダメージを受けたかどうかを判定するのが人間ということなのです。そうなのです。怖い話なのですが、多数決がここを支配しているのです。パンチが当たってもダメージがないと判断すれば、それが得点に反映します。二人がダメージあり、一人がダメージ無し、という判定になれば意見が分かれ、あっという間に客観性が失われてしまうのです。新聞報道によると、エンダム選手のパンチを繰り出す数が多く、それを優勢と判定したとのことだったのですが、おかしくないですか?採点は減点法なのに、パンチ数で判断するのは加算法ではないですか。そう、この審判たちは、片や減点法の判定、片や加算法の判定、これでは公正な判定ができるはずがありません。片方はパンチのダメージで判定。片方はパンチの数で判定では、その判定の根拠がチグハグすぎるのです。スポーツではこのように人間の客観性に委ねて勝敗を決するやり方と、陸上や水泳のようにタイムによって勝敗を順位づける方法があります。タイムによる競技は、その計時装置に狂いさえなければ100%公正な結果を生み出せます。ところが、審判の五感に頼る競技は、少なからずトラブルや遺恨を生みがちです。水中競技でもシンクロナイズドスイミングや、フィギアスケート、レスリング、柔道などは審判員の裁定が不可欠です。もちろん野球もそうなのです。ストライク、ボールの判定、アウト、セーフの判定などはひとえに人間個人の裁量で出されるわけです。そうすると、判断の瞬間がどちらにもとれる場合、最終的に権限を与えられた審判員の判定が優先されるのです。これ、責任重大ですよね。これまでも世紀の誤審と言われるものは数多くあります。マラドーナの神の手判定はその典型かもしれません。しかしながら、そんな誤審も含めて「人間だもの」かもしれません。後世にまで誤審の記録が残るということは、即ちそれ、人間の性であり、人間の愚かさであり、人間のご愛敬ではないでしょうか。不利な判定に泣かされた人たちには、まことに気の毒ではあるのですが、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」」でやり過ごすしかないかもしれません。ねえ、相田みつを先生!